活動から育む心

最期の時に寄り添うということ:ターミナルケアボランティアが育んだ共感と利他心

Tags: ターミナルケア, ボランティア, 共感, 利他性, 内面的成長

ターミナルケアボランティアとの出会い

私がターミナルケア、つまり終末期医療に関わるボランティアを始めたのは、数年前のことです。以前から、人の「死」というものに漠然とした関心があり、どのようにすれば人は穏やかに最期を迎えられるのか、その傍らにいる者として何ができるのかを知りたいと考えていました。いくつかの情報収集を経て、地元の病院で行われているターミナルケア病棟でのボランティア募集を知り、一歩踏み出すことにしたのです。

活動内容は、患者さんのベッドサイドに座り、お話し相手になったり、ただ静かに共に時間を過ごしたり、手足のマッサージをしたり、求められれば手を握ったりすることでした。技術的なことはほとんどなく、求められるのは「そこにいること」、そして相手の存在を尊重することだと説明を受けました。

沈黙の中での共感の模索

活動を始めた当初は、正直なところ、何を話せば良いのか分からず、沈黙の時間が怖く感じることもありました。目の前にいる方は、人生の終盤に差し掛かり、肉体的、精神的に大きな困難を抱えていらっしゃいます。安易な言葉は失礼になるのではないか、かえって傷つけてしまうのではないか、と考えると、言葉を選ぶのが難しかったのです。

ある日、山田さん(仮名)という高齢の女性の部屋を訪ねました。山田さんはほとんど言葉を発さず、ただ窓の外を眺めていらっしゃいました。私は何か話しかけるべきか迷いましたが、結局、ただ静かに山田さんの隣の椅子に座ることにしました。部屋には時計の音だけが響き、少し居心地の悪さを感じていたかもしれません。

しかし、しばらく時間が経つにつれて、山田さんの呼吸の音や、時折変わる表情、窓の外に向けられる視線の動きなど、言葉にならないサインから、何かを訴えかけているような、あるいは何かを感じているような微かな気配を感じ取るようになりました。それは明確な感情表現ではありませんでしたが、長い人生の積み重ねや、今ここにいることへの様々な思いが、その小さな仕草の中に込められているように思えたのです。

心が通い合った瞬間

そうした沈黙の時間を何度も重ねるうちに、少しずつですが、山田さんが私に心を開いてくださるようになりました。ある午後、山田さんが突然、か細い声で若い頃の故郷の風景や、亡くなったご主人のこと、子供たちの小さな頃のエピソードなどを語り始めたのです。話される内容は断片的で、時折途切れることもありましたが、その声の響きや、遠くを見つめる瞳の中に、懐かしさ、喜び、そしてほのかな寂しさや後悔のような感情が確かに宿っているのを感じました。

私はただ、相槌を打ちながら、その言葉の一つ一つに耳を傾けました。特別なアドバイスをするわけでもなく、励ますわけでもありません。ただ、山田さんの語る世界に、私自身をそっと置かせてもらうような感覚でした。その時、初めて山田さんの人生の一部に触れられた、心と心が少しだけ通じ合った、という深い感覚がありました。これが、「共感」というものの、私にとっての原初的な体験だったのかもしれません。相手の言葉にならない思いや、その人自身の歴史に、心を寄せること。それは、技術ではなく、ただ真摯に相手に向き合うことから生まれるのだと学びました。

「ただいること」の利他性

山田さんの話を聞く中で、私がここで「何かをしてあげる」ことよりも、「ただ傍にいること」が、どれほど大きな意味を持つのかを理解するようになりました。山田さんが求めていたのは、おそらく具体的な助けや、悩みの解決ではなかったのです。それは、人生の最期の時に、一人ではないと感じられる安心感であり、誰かに自身の存在を受け止めてもらえるという静かな喜びだったのではないでしょうか。

私が行っていることは、社会的な課題を解決するような目覚ましい活動ではないかもしれません。しかし、目の前にいる一人の人間が、自身の尊厳を保ちながら、心穏やかに最期を迎えるための、ほんの小さな支えになれること。見返りを一切求めず、ただ相手の安寧を願って時間を共にすること。これこそが、飾らない「利他性」の形であると、山田さんとの関わりを通して深く実感しました。

活動から育まれた心

山田さんは、その後間もなく息を引き取られました。その訃報を聞いたとき、深い悲しみと共に、清々しさのような感情も覚えました。限られた時間の中で、私は山田さんの人生の一部に触れさせていただき、人として最も大切なことの一つを教えていただいたように感じたからです。

このターミナルケアでのボランティア経験は、私の内面に大きな変化をもたらしました。人の命の尊さ、そしていつか訪れる自身の死について真剣に考えるようになりました。また、日常の中で出会う人々の、言葉にならない思いや感情にも、以前より sensitive になれたように感じます。そして、誰かのために何かをすること、という利他性は、決して大きなことでなくても良いのだと知りました。ただ、誰かの傍らに寄り添い、その存在を認め、受け止めること。それだけでも、十分に他者を思いやる利他性の表れであると信じています。

「活動から育む心」という言葉は、まさにこの経験を表していると感じます。ボランティア活動は、社会への貢献であると同時に、自分自身の内面を深く掘り下げ、心を成長させる貴重な機会なのです。ターミナルケアでの経験は、私の人生観、そして人との向き合い方を根本から変える、かけがえのないものとなりました。今後も、この経験で育まれた心を大切にしながら、私にできる形で人々と関わっていきたいと考えています。