スタジアムの片隅で寄り添う:スポーツイベントボランティアが語る共感と利他性
歓声の中で見つけた静かな時間
私がスポーツイベントのボランティアを始めたのは、単にスポーツが好きだったというだけでなく、多くの人が集まる大きな空間で、何か人の役に立てることができればと思ったからです。中でも、障害のある方へのサポートボランティアは、特に心惹かれる役割でした。華やかな舞台の裏側で、一人ひとりの参加者が安心してイベントを楽しめるように寄り添う。そこに「活動から育む心」があるのではないかと感じたのです。
大きなスタジアムに響き渡る歓声は、いつも私を興奮させてくれます。しかし、私たちの活動場所は、チケット販売所の片隅、案内所の脇、時には観客席の通路など、会場の「片隅」にあることがほとんどです。そこで私は、様々な障害のある方々と出会いました。車椅子をご利用の方、視覚や聴覚に障害をお持ちの方、知的障害のある方。それぞれの方が、イベント参加に対して様々な期待と同時に、不安や懸念を抱えていることを知りました。
言葉の奥にある思いに触れる
ある時、受付で一人で立ち尽くしている車椅子のご高齢の女性に声をかけました。チケットを手に、どうすれば良いか迷っているご様子でした。「何かお手伝いできますか?」と尋ねると、その方は小さな声で「席まで、行きたいんだけど…」とだけおっしゃいました。チケットを見ると、かなり上階の席でした。通常ルートではアクセスが難しいため、特別なエレベーターや通路を利用する必要があります。
私が「ご案内しますね」と言うと、その女性は少し安堵した表情を見せましたが、すぐに不安げな様子に戻りました。「あの…でも、みんなに迷惑かけるんじゃないかと…」「大丈夫ですよ、お手伝いするのが私たちの役割ですから」と笑顔でお答えしましたが、その方の表情にはまだ迷いがありました。
その時、私は単に物理的な移動のサポートだけでなく、その方が抱える「迷惑をかけたくない」という気持ち、そして「イベントを楽しみたい」という切なる願い、その両方の感情を理解しようと努めました。これが「共感」なのだと感じました。言葉にならない不安や、遠慮の気持ちを、表情や声のトーンから感じ取り、それに対してどう寄り添うべきかを考えました。
一緒にエレベーターに乗り、通路を進む間、私は一方的に案内するのではなく、イベントの雰囲気を伝えたり、他愛のない話をしたりしながら、その方のペースに合わせてゆっくりと歩みました。席にたどり着き、「これで大丈夫ですか?」と尋ねると、その女性は深々と頭を下げ、「本当にありがとう。一人では来られなかったから…」と目にうっすら涙を浮かべておっしゃいました。その瞬間の、心と心が通じ合ったような温かい感覚は忘れられません。私のささやかな行動が、その方の「イベントを楽しみたい」という願いを叶える一助となったことへの喜び、これが「利他性」の実践がもたらす内面的な報酬なのだと感じました。
小さな一歩がもたらす大きな変化
この経験を通じて、私は単に指示された業務をこなすのではなく、目の前にいる一人ひとりの状況や感情に深く配慮することの重要性を学びました。共感は、相手の立場や気持ちを想像する力であり、利他性は、その共感に基づいた行動なのだと改めて理解しました。それは、マニュアル通りにはいかない、常に新しい発見と学びがあるプロセスです。
特に、大規模イベントのような非日常的な空間では、障害のある方々にとって、普段以上に様々な障壁が存在します。物理的な障壁だけでなく、心理的な障壁も少なくありません。「自分はここでは場違いかもしれない」「周りの目が気になる」といった思いを感じている方もいらっしゃるかもしれません。私たちの「寄り添う」という活動は、そうした見えない障壁を取り除くことにも繋がっているのだと気づきました。
このボランティア活動を通じて、私の心には確かな変化が生まれました。以前にも増して、日常生活の中でも、周囲の人の小さな仕草や言葉の端々に隠された感情を察しようと努めるようになりました。困っている人がいれば、ためらわずに声をかける勇気もつきました。それは、スタジアムの片隅での小さな経験が、私の内面を豊かにし、社会との向き合い方を変えてくれたのだと感じています。共感と利他性は、特別な場所だけでなく、日々の暮らしの中で育まれ、実践されていくものなのだと信じています。