活動から育む心

社会復帰への道に寄り添う:更生支援で育まれた共感と利他心

Tags: 更生支援, 社会復帰, 共感, 利他性, 内面的な成長

社会復帰への道に寄り添う:更生支援で育まれた共感と利他心

私は、刑務所や少年院から出所した方々の社会復帰を支援するボランティア活動に、十年近く携わっております。この活動は、多くの方にとって馴染みが薄いかもしれません。私も当初は、メディア等で知る限りの情報しか持っておらず、支援対象者の方々に対して漠然とした不安や、どこか線引きをするような気持ちが少なからずありました。しかし、活動を続ける中で、様々なエピソードに触れ、自身の内面に大きな変化が訪れたことを実感しています。

目に見えない壁と向き合ったエピソード

私が強く「共感」と「利他性」について考えさせられたのは、ある若い男性との出会いでした。彼は施設を出たばかりで、頼るべき家族も知人もいない状況でした。面談でお話しを伺う中で、彼は自身の過去を悔い、真面目にやり直したいという強い意志を持っていることが伝わってきました。しかし同時に、社会の冷たい視線や、仕事を見つけることの困難さに対する深い絶望も抱えているようでした。

彼の言葉にならない不安や孤独を前にしたとき、私はこれまでの「加害者」というレッテルを通して彼を見ていた自分に気づき、恥ずかしくなりました。そこにあったのは、ただ純粋に、安定した生活を取り戻したいと願う一人の人間の姿でした。彼の声の震えや、ふとした時に見せる諦めたような表情から、私は彼の抱える目に見えない重圧に静かに「共感」を覚えました。

その後、私たちは共に市役所を訪れ、住居や生活保護の申請手続きを進めました。手続きは煩雑で、役所の担当者の対応に彼が戸惑ったり、過去について問われて落ち込んだりする場面もありました。そのような時、私はただ傍らにいること、彼の話を根気強く聞くことに徹しました。時に苛立ちや不満を口にする彼に対し、表面的な励ましではなく、彼の感情そのものを受け止めるよう努めました。これは、私が彼に対して自然と抱いた「利他性」、つまり彼の幸福や回復を心から願う気持ちから生まれた行動でした。

葛藤の中で深まる理解

もちろん、活動は常に順風満帆ではありません。約束を破られたり、再び問題を起こしてしまう方もいらっしゃいます。そのような現実に直面するたび、「自分の支援は無力なのではないか」「どこまで関わるべきなのか」という葛藤に苛まれました。特に、先の若い男性が、一度は決まりかけた仕事の話が流れてしまい、自暴自棄になりかけた時、私は彼にどう接すれば良いのか、本当に悩みました。

しかし、この葛藤の中で、私は「共感」と「利他性」の本当の意味を深く考えるようになりました。彼が置かれている極限の状況、社会から疎外される痛み、過去の過ちがどれほど重くのしかかっているのか。それを想像する力を養うことが「共感」であり、その理解に基づき、たとえ困難であっても、相手にとって何が最善かを考え、行動に移すことが「利他性」なのだと。それは、感情的な同情だけでなく、相手の立場を冷静に理解し、根気強く関わり続ける知性的な営みでもあると気づきました。

活動がもたらした内面的な変化

この活動を通じて、私の内面は大きく変わりました。かつて持っていた、人を表面的な情報や過去だけで判断する傾向は薄れ、一人ひとりの背景や内面に目を向けようとする意識が強くなりました。困難な状況にある人々への「共感力」は、活動を始める前とは比べ物にならないほど深まったと感じています。

そして、「利他性」の実践は、決して自分を犠牲にすることや、全ての責任を負うことではないという学びを得ました。それは、相手の尊厳を尊重し、自己決定を支え、共に小さな一歩を踏み出す勇気を持つことです。このような関わり方の中で、支援対象者の方々が見せる小さな笑顔や、前向きな変化を目にするたび、私自身もまた、人としての温かさや、社会との繋がりの中で生きていることの喜びを改めて感じることができるのです。

「活動から育む心」というサイト名が示すように、ボランティア活動は、他者への貢献であると同時に、自己の内面を育む貴重な機会です。更生支援という活動は、社会の影の部分に光を当てるものであり、そこには困難も伴います。しかし、その中で培われる「共感」と「利他性」は、私たち自身の心を豊かにし、人間的な深みを与えてくれると、私は確信しています。これからも、目の前にいる一人の方と誠実に向き合い、共に歩む中で、自身の心も共に育んでいきたいと考えています。