活動から育む心

指先の戸惑いに寄り添う:スマホ教室ボランティアが育んだ共感と内面の変化

Tags: ボランティア, 高齢者支援, スマホ教室, 共感, 内面的な変化

スマホ教室ボランティアへの一歩

私が高齢者向けのスマートフォン教室のボランティアに参加するようになったのは、地域の福祉協議会から案内を受けたのがきっかけでした。それまでボランティア活動といえば、清掃やイベントの手伝いといった体を動かすものが主でしたが、技術的なスキルを活かせるなら、と思い切って参加を決めたのです。正直なところ、当初は「スマホの使い方を教えるだけなら簡単だろう」という安易な気持ちもありました。

しかし、実際に教室が始まると、私の想像はすぐに覆されました。参加されるのは、これまで携帯電話にすら馴染みが薄かったり、スマートフォンの操作に強い苦手意識を持っていたりする方々です。画面に触れること自体にためらいがあったり、小さな文字を読むのに苦労されたり、覚えたことをすぐに忘れてしまったりすることも少なくありませんでした。

指先の戸惑いに寄り添う時間

ある時、一人の女性の参加者の方が、スマートフォンの電源を入れることすらできずに困っていらっしゃいました。「触ると壊してしまいそうで怖い」と、指先が画面の上で震えている様子を拝見した時、私は思わず息を飲みました。私にとって当たり前の操作が、その方にとっては乗り越えるべき大きな壁なのだと痛感したのです。

最初はどう教えれば良いのか戸惑いました。効率よく、手順通りに教えることばかり考えていたからです。しかし、それでは全く先に進めません。その方の「怖い」という感情に、どうすれば寄り添えるのか。そこで、私は一度教えることをやめ、ただ隣に座り、ゆっくりと話を聞いてみることにしました。なぜスマホを使いたいのか、どんなことに興味があるのか。すると、「遠くに住む孫の顔を見たい」「友達とLINEで話したい」といった、技術的なことではなく、もっと根源的な「繋がりたい」という強い願いがあることを知りました。

その願いを知ってから、私の姿勢は大きく変わりました。単に機能を教えるのではなく、その方がスマホを使うことで何を得たいのか、その目的達成を一緒に目指す、という意識に変わったのです。指先の震えを急かすことなく待ち、うまくいかなくても決して否定せず、「大丈夫ですよ、ゆっくりで良いんです」と声をかけ続けました。小さな成功体験が、その方の自信に繋がるよう、できたことは大げさなくらい褒めました。

忍耐の先に育まれた共感と学び

同じことを何度繰り返しても覚えられず、正直なところ、心の中でため息をつきそうになった瞬間もありました。しかし、その度に、先ほどの女性の震える指先や、「孫に会いたい」と語った時の輝く瞳を思い出し、自分の中の効率を求める気持ちを抑え、「寄り添う」ことに徹しました。

この経験を通じて、私は二つの大切なことに気づかされました。一つは、「教える」ことの本質は、単に知識や技術を伝達することだけではなく、相手の状況や感情を深く理解し、その内面に寄り添うことであるということです。これはまさに「共感」の実践だと感じました。相手の戸惑いや不安を自分のことのように感じ、その気持ちに寄り添うことで、初めて真のサポートができるのだと学びました。

もう一つは、「利他性」とは、何か大きなことを成し遂げるだけでなく、目の前にいる一人の小さな困難に、根気強く向き合い続ける献身性の中にも宿るということです。何度失敗しても諦めず、共に一歩ずつ進んでいく過程そのものが、私にとって、そして恐らくその方にとっても、技術習得以上に価値のある時間だったように感じます。

この活動は、私の中にあった「効率性」や「成果」を重視する価値観を揺さぶりました。技術を教えるという外面的な活動を通して、私は自分自身の内面、特に「共感力」や「忍耐力」、そして「他者の小さな喜びを共に喜ぶ心」が養われていくのを感じています。「活動から育む心」というサイト名が、私自身の体験を通して腑に落ちた瞬間でした。

心を育む活動として

スマホ教室でのボランティアは、高度な技術や特別な知識がなくても始められます。しかし、そこには人との深い関わりがあり、相手の人生の一部に触れ、共に小さな壁を乗り越えていく感動があります。指先の戸惑いに寄り添う静かな時間の中で、私自身の心もまた、確かに育まれていると実感しています。この経験は、今後の私のボランティア活動だけでなく、日々の人間関係においても、より深く、温かい繋がりを築くための大切な礎となるでしょう。