沈黙の奥に響く声:傾聴ボランティアで学んだ共感の深さ
傾聴ボランティアとの出会い、そして沈黙への戸惑い
私が傾聴ボランティアを始めたのは、定年退職後のことです。それまで仕事一筋の生活を送ってきましたが、社会との繋がりを持ち続けたい、誰かの役に立ちたいという思いから、この活動に興味を持ちました。研修を受け、いざ現場へ。最初の頃は、相手の方と何を話せば良いのか、どう反応すれば良いのかと、常に言葉を探している自分がいました。マニュアル通りに進めようとする意識が強かったのかもしれません。
特に難しさを感じたのは、相手の方が何も語らず、沈黙が続いた時です。数秒、数十秒の沈黙が、私には永遠のように感じられました。「何か話さなければ」「場を持たせなければ」という焦りが募り、つい余計な問いかけをしたり、自分の話をしてしまったりすることがありました。活動を始めたばかりの頃は、この「沈黙」が、傾聴の失敗を意味するのではないかとさえ感じていたのです。
沈黙の中に「共感」を探す
ある日、担当させていただいていた方が、ほとんど何も話さない日がありました。椅子に座り、窓の外をただじっと眺めていらっしゃいます。私はどうしてよいかわからず、そばでただ座っているだけでした。その沈黙は普段よりも長く、部屋には時計の針の音だけが響いていました。
「何か、お話しになりたいことはありますか?」と一度だけ声をかけましたが、返事はありません。不安と、そして少しの申し訳なさのような感情が湧き上がりました。「私はこの方の役に立てていないのではないか」という思いです。しかし、ふと、その方の表情に目を向けました。言葉はありませんでしたが、そこには深い悲しみのようなもの、あるいは何かを遠く懐かしむような、複雑な感情が浮かんでいるように見えました。
その時、私はハッとしました。言葉がないからといって、その方に何も起こっていないわけではない。むしろ、言葉にできないほどの強い感情を抱えているのかもしれない、と。私の役割は、その感情を無理やり言葉にさせることではなく、その感情がそこにあることに気づき、寄り添うことではないか。それが「共感」なのではないか、と思い至ったのです。
言葉にならない、表情や雰囲気、あるいは沈黙そのものに耳を澄ます。それは、言葉を聞くよりも遥かに難しく、集中力を要することでした。同時に、私自身の内面も静かにしていなければ、相手の微細なサインを受け取れないことにも気づきました。私の焦りや不安といった「自分の感情の音」が大きいと、相手の「沈黙の音」は聞こえなくなるのです。
「利他性」の実践としての沈黙への寄り添い
その日以来、私は沈黙を恐れるのをやめました。沈黙は、相手が内面と向き合っている時間であり、無理に言葉を挟むことは、その大切な時間を奪うことになりかねないと考えたからです。私ができる「利他性」の実践とは、私の都合や期待を手放し、ただそこに存在し、相手が何を必要としているのか(たとえそれが「ただ一人で静かに過ごすこと」であったとしても)を感じ取ろうと努めることなのだと理解しました。
沈黙が続いたとき、私は窓の外を一緒に眺めたり、ただ静かに呼吸を合わせたりするようになりました。すると不思議なことに、相手の方がふとした瞬間に、ぽつりと一言、心の内を漏らしてくださることが増えました。それは、長く抱えていたであろう過去の出来事だったり、今感じている小さな喜びだったり、様々です。言葉は少なくても、そこには確かにその方の「声」がありました。そして、その「声」は、私が沈黙の中でじっと寄り添い続けたからこそ、聞かせてもらえた声のように感じられたのです。
活動から育まれた内面の静けさと深い共感力
この傾聴ボランティアでの経験は、私の内面に大きな変化をもたらしました。以前は、会話の中に間があると不安になるタイプでしたが、今は沈黙を肯定的に捉えられるようになりました。人の内面は、必ずしも言葉で全てが語られるわけではない。言葉にならない感情や思考の領域があることを知り、そこへの敬意を持つようになったのです。
これは、ボランティア活動の場だけでなく、日常生活における家族や友人との関わりにも影響しています。相手がすぐに答えを出せない時や、何か考え込んでいるような時、以前のように性急に結論を求めたり、自分の意見を押し付けたりすることが減りました。相手の「沈黙の時間」を尊重し、ただそばにいることの価値を理解できるようになったからです。
傾聴ボランティアを通じて、私は「共感」とは、相手の言葉に反応すること以上に、その人の存在そのもの、言葉にならない感情や状況を含めて、まるごと受け止めようとする姿勢なのだと学びました。「利他性」とは、自分のしたいことではなく、相手が本当に必要としていることに、静かに寄り添うことなのだと気づきました。沈黙という静かな時間の中に、人の心の奥深さと、それに触れることの尊さを感じています。この活動から育まれた内面の静けさと、より深いレベルでの共感力は、私のこれからの人生において、かけがえのない支えとなっていくことでしょう。