異文化の壁を超えて寄り添う:難民支援で育まれた共感と利他心
国境を越えた出会いと、そこにあった壁
私が難民支援のボランティア活動に参加するようになったのは、数年前にたまたま参加した講演会がきっかけでした。遠い国の出来事だと思っていた難民問題が、実は私たちの身近な場所でも起こっており、多くの人々が困難な状況に直面していることを知ったのです。それまで経験してきた地域のボランティア活動とは異なる、国際的な視点での支援に興味を持ち、まずは週に一度、相談窓口のサポートをすることから始めました。
活動初期に特に強く感じたのは、言葉や文化の違いからくるコミュニケーションの難しさでした。私が担当したAさんは、中東のある国から避難してきた方でしたが、日本語はほとんど話せず、通訳を介しての会話が中心でした。また、私たちにとっては当たり前の社会習慣や手続きも、Aさんにとっては全く異質なものであり、戸惑いや不安が常に伴っているようでした。
当初は、必要な情報を提供し、手続きを支援するという実務的な側面に集中していました。しかし、Aさんのどこか遠くを見るような視線や、ふとした瞬間に見せる寂しげな表情に触れるうち、単なる情報伝達や手続き代行だけでは、Aさんの抱える深い孤独や不安には届かないのではないかと感じるようになりました。
言葉にならない思いにどう「共感」するか
ある日、Aさんが故郷の家族の話を断片的に、感情を込めて語り始めたことがありました。通訳の方も苦慮するほど、感情が先行し、論理的な文脈を追うのが難しい話し方でした。私にはその言葉の意味を完全に理解することはできませんでしたが、Aさんの声の震えや表情から、故郷に残してきた人々への深い愛情と、離れざるを得なかったことへの強い悲しみ、そして未来への漠然とした不安が痛いほど伝わってきました。
その時、私は「共感」するということが、単に相手の言葉を理解するだけではないのだと実感しました。頭で状況を把握するだけでなく、相手の感情の「色」や「温度」のようなものを、言葉にならない部分から感じ取ろうとすること。そして、たとえ完全に理解できなくとも、「私はあなたのその辛さ、悲しさを感じ取ろうとしていますよ」という姿勢を示すこと。それが、異文化や言葉の壁がある中での、私にできる共感の形なのではないかと考えたのです。
私は特別な言葉をかける代わりに、ただ黙ってAさんの話に耳を傾け、相槌を打ち、時折Aさんの目を見て静かに頷きました。手に触れることはしませんでしたが、隣に座り、同じ空間でその感情を受け止めようと努めました。それはほんの短い時間でしたが、話し終えたAさんが少しだけ表情を和らげ、「ありがとう」と日本語で小さな声でおっしゃった時、私の心の中に温かいものが広がったのを覚えています。
利他心の実践と内面の変化
この経験は、私のボランティア活動における「利他性」への向き合い方にも変化をもたらしました。それまでは、支援の対象者に対して「何かをしてあげる」という一方的な意識が少なからずあったかもしれません。しかし、Aさんのエピソードを通して、「利他」とは単に物質的な支援や情報提供に留まるものではなく、相手の存在そのもの、その内面にある感情や経験に、心を開いて寄り添おうとすることなのだと深く理解しました。
それは、相手のために何かを「してあげる」というよりも、相手と共に「いる」こと、そして相手が自身の内面を安心して開けるような「場」を共に創り出すことであると気づきました。もちろん、具体的な手続きや情報の支援は不可欠ですが、その根底に、言葉や文化を超えて繋がろうとする「共感」と、相手の幸福を心から願う「利他心」がなければ、真の意味で心に寄り添うことはできないと感じたのです。
この気づきは、私の難民支援活動だけでなく、日常生活での人との関わり方にも影響を与えました。目の前の人の言葉の奥にある感情に、より注意深く耳を傾けるようになったのです。また、自分自身の感情や、なぜボランティア活動を続けているのかという内面的な動機についても、より深く内省するきっかけとなりました。
活動が育む「共感」と「利他」の心
難民支援という活動は、常に多くの困難や課題を伴います。制度の壁、言葉の壁、そして支援対象者が抱える深いトラウマや喪失感。それらに向き合う中で、自身の無力さを痛感することも少なくありません。しかし、そうした困難な状況の中でこそ、人間の持つ「共感」する力や「利他」の心が試され、そして育まれていくのだと感じています。
Aさんとの出会いは、私にとって、表面的な違いを超えて人間の心に触れることの尊さ、そして「寄り添う」という行為の持つ深い意味を教えてくれる貴重な経験となりました。活動から育まれた共感と利他心は、私自身の内面を豊かにし、人生に対する視座を広げてくれています。これからも、この心持ちを大切にしながら、活動を続けていきたいと考えています。