笑顔を引き出す関わりの中で:高齢者施設レクリエーション支援が育んだ共感と利他心
高齢者施設でのレクリエーション支援を通じて
私がボランティア活動を始めたのは、定年退職を迎えた後のことでした。何か社会の役に立ちたいという思いから、地域のボランティアセンターに相談に行き、紹介されたのが高齢者施設でのレクリエーション支援でした。当初は正直なところ、何をすれば良いのか、どのように接すれば良いのか、漠然とした不安を抱えていました。ただ、そこで生活されている方々の日常に、ほんの少しでも彩りを添えることができれば、という気持ちだけがありました。
歌声が響く午後のエピソード
初めて担当したのは、週に一度の「歌声サロン」です。昔懐かしい童謡や唱歌を、入居者の方々と一緒に歌う時間でした。最初は皆さん控えめで、小さな声で口ずさむ程度でした。中には、遠くを見つめたまま、全く反応を示されない方もいらっしゃいました。私は、ただ楽譜を追って歌うだけでなく、皆さんの表情をよく観察し、それぞれの様子に心を配るよう努めました。
ある日のことです。いつもは無表情で、ほとんど歌に参加されない方が、ある特定の曲になった途端、ほんのわずかですが口元を動かされました。それは、その方が若い頃に親しまれていたであろう流行歌でした。その小さな変化を見逃さず、私はその方の傍にゆっくりと寄り添い、目を合わせて、その曲をいつもより少し丁寧に歌ってみました。すると、その方の目元に、何か懐かしむような、あるいは微かな喜びのような光が宿ったように見えたのです。そして、歌い終わった後、小さく「ありがとう」と呟かれたのです。
この出来事は、私にとって非常に大きな意味を持ちました。それまで、活動の成果を目に見える形で得ようと焦っていた自分がいたことに気づかされたのです。その方の小さな反応を見つけられたのは、私が単に「歌を歌わせる」という行為に終始するのではなく、「この方が今、何を思い、何を感じているのだろうか」ということに意識を向け、寄り添おうとしたからではないかと感じました。この時感じたのは、まさに「共感」だったと思います。言葉は少なくても、その方の過去の記憶や感情に思いを馳せ、今この瞬間の心の動きに寄り添おうとする心です。
そして、「ありがとう」という言葉をいただいた時、私の心に温かいものが広がりました。それは、自分がかけた小さな労力や配慮が、確かに誰かの心に届いたという実感、すなわち「利他性」の実践がもたらす喜びでした。見返りを求めたわけではありませんが、相手の喜びが自分自身の内側にもたらす充足感は、何物にも代えがたいものでした。
小さな気づきがもたらした内面の変化
このエピソードを境に、私の活動に対する姿勢は大きく変わりました。参加率や声の大きさといった表面的な結果を追うのではなく、一人ひとりの参加者の小さな変化や表情、言葉にならない思いに、より一層注意を払うようになったのです。レクリエーションの内容を工夫することも大切ですが、それ以上に、その場にいる「人」と「人」としての関わりを深めることに価値を見出すようになりました。
他の参加者の方々との関わりでも、同様の気づきがありました。認知症が進んだ方との関わりでは、論理的な会話が難しくても、手を握る、優しく声をかける、一緒に笑うといった非言語的なコミュニケーションの中に、確かに通じ合える瞬間があることを知りました。それは、相手の状態をありのままに受け止め、その方の「今」に心を寄せることで生まれる共感の形でした。
活動を続ける中で、「利他性」についても新たな理解が生まれました。それは、単に相手に何かをしてあげるということではなく、相手の存在そのものを尊重し、その方の幸せや心地よさを願う心そのものが利他心であるということです。そして、その利他心に基づいた行動が、巡り巡って自分自身の心も豊かにしていく循環があることを実感しました。
活動から育む心
高齢者施設でのレクリエーション支援という活動は、私に多くのことを教えてくれました。それは、人間の心の奥深さ、そして、ほんの小さな関わりの中に宿る共感と利他性の力です。活動を始める前は、ボランティアとは「誰かを助ける」一方的な行為だと考えていた節がありました。しかし、実際に関わってみると、そこには明確な与え手と受け手があるわけではなく、お互いの存在によって心が育まれ合う、双方向の豊かな関係性があるのだと気づかされました。
これからも、この活動を通じて得た共感と利他性の心を大切に、目の前にいる一人ひとりの方に、誠実に向き合っていきたいと考えています。そして、活動の中で出会う様々な感情や学びを、自身の内面的な成長の糧としていきたいと願っています。この経験が、他のボランティア実践者の方々にとっても、自身の活動を見つめ直す一助となれば幸いです。