言葉の壁の向こうに見えた心:外国籍の子ども支援で見つけた共感と利他心
言葉が通じない世界への一歩
私が外国籍の子ども支援ボランティアに関わるようになったのは、多様な文化が共存する地域社会への関心と、子どもたちの可能性を広げたいという思いからでした。活動内容は、日本語指導や学校の宿題の手伝い、時には生活面でのサポートなど多岐にわたります。しかし、活動を始めてすぐに直面したのは、言葉の壁が想像以上に厚いということでした。
特に印象に残っているのは、南米から来たばかりの女の子、マリアさん(仮名)との出会いです。彼女はまだ片言の日本語しか話せず、学校でも友達とのコミュニケーションに苦労しているようでした。彼女の表情には常に不安が滲んでおり、その姿を見ていると、私自身の胸も締め付けられるような感覚になりました。これが、活動を通じて「共感」というものを深く意識する最初のきっかけだったかもしれません。
沈黙の中で通い合う心
マリアさんとの最初の時間は、ほとんど言葉になりませんでした。私が日本語で話しかけても、彼女は困ったような顔をするだけです。教科書を開いても、そこに書かれている内容は彼女にとって未知の記号のようでした。どうすれば彼女の心に寄り添えるのか、どうすれば彼女の抱える孤独や不安を理解できるのか、私は模索しました。
文字や言葉が難しいなら、絵やジェスチャーを使ってみよう。彼女の好きなものは何だろう? 学校であった嫌なこと、嬉しかったことは? そう問いかける私に、マリアさんは時折、はにかんだり、眉をひそめたりしながら、ゆっくりと表情で応えてくれました。私はその小さなサインを見落とさないよう、彼女の目を見て、声のトーンを聞き分けようと集中しました。それはまるで、言葉ではない「心の声」を聴こうとする試みでした。
ある日、学校で嫌なことがあったのか、マリアさんは終始うつむいていました。話を聞き出そうとしても、何も言葉が出てきません。私はただ静かに、彼女の隣に座っていました。しばらくして、彼女が小さな声で何かを呟きました。ほとんど聞き取れませんでしたが、その声に含まれる悲しみだけは、はっきりと伝わってきました。言葉の意味は分からなくても、その感情だけは鮮明に理解できたのです。その瞬間、私の内側に、彼女の悲しみと共鳴するような感覚が確かに生まれました。言葉が通じなくても、相手の感情を受け止め、寄り添おうとすること。それもまた、一つの共感の形なのだと気づかされました。
利他性が育む、自分自身の変化
マリアさんが少しずつ心を開いてくれるにつれて、私は彼女のためにできることをもっとしたい、という強い思いに駆られるようになりました。それは単に「助けてあげたい」という一方的な感情ではなく、彼女がこの日本で、一人の子どもとして安心して過ごせるように、彼女の可能性が閉ざされないように、という願いに近いものでした。これが「利他心」の実践へと繋がっていきました。
放課後、学校で困ったことがあれば先生に代わりに伝えたり、他のボランティア仲間と情報交換をして、より効果的な支援方法を模索したり。時には、マリアさんの保護者の方と協力して、家庭での学習環境を整えるサポートも行いました。これらの活動は、私の時間やエネルギーを費やすものでしたが、不思議と苦ではありませんでした。むしろ、マリアさんが少しずつ自信を持ち、笑顔が増えていく様子を見るたびに、私の心も満たされていくのを感じたのです。
この経験を通じて学んだのは、利他性とは、相手のために何かをすることであると同時に、自分自身の内面を豊かにする行為でもある、ということです。誰かのために行動することで、自分自身の視野が広がり、困難に立ち向かう強さが育まれ、そして何よりも、人間関係の深い温かさを知ることができます。マリアさんとの関わりは、私自身の内向的な部分を少しずつ変え、異文化に対する理解と受容の心を深めてくれました。
活動から育まれた「心」
言葉の壁に阻まれ、時には挫折しそうになった外国籍の子ども支援ボランティアですが、マリアさんをはじめとする子どもたちとの出会いは、私の「共感力」と「利他心」を大きく育ててくれました。言葉が全てではない。心は、言葉以外の様々な方法でも通じ合える。そして、誰かのために искренне 行動することは、結果として自分自身の成長に繋がる最も確かな道である、ということを身をもって知ることができました。
この学びは、ボランティア活動の場に留まらず、日常生活における他者との関わり方、困難に直面した時の考え方にも影響を与えています。多様な背景を持つ人々と心を通わせることの難しさ、しかしそれ以上に大きな喜びを、私はこの活動から教えてもらいました。「活動から育む心」という言葉が、これほどしっくりくる経験は他にありません。これからも、この活動を通じて育まれた心を大切に、他者への共感と利他性を実践していきたいと考えています。