本の行間から伝わる思い:病院図書室ボランティアで育まれた共感と利他心
導入:静かな廊下を、本を乗せたカートと共に
私が病院の図書室ボランティアを始めたのは、数年前に自身の入院経験があり、その際に本を読むことが心の支えになったからです。病院の長い廊下、無機質な空間の中で、本が持つ力を改めて感じました。退院後、今度は自分がその力を届ける側になりたいと考え、この活動に参加することを決めました。
活動は主に、貸し出し用の図書カートを病室まで運び、患者さんにご希望の本をお届けすることです。単純な作業に見えますが、一冊の本を介して患者さんと向き合う時間は、私にとって多くの気づきと学びの機会となりました。それは、単に本を貸し出す以上の、深く内面的な営みだったと感じています。
エピソード詳細:言葉にならない心に触れる時
ある日、私は一人の高齢の女性の病室を訪ねました。何度かお見かけしていましたが、いつも表情は硬く、あまり会話をされる様子はありませんでした。その日も「何か読まれますか?」と尋ねると、小さく首を横に振られただけでした。しかし、ふと視線がカートに乗せた一冊の旅行記に留まったように見えました。
私はすぐにその本を手に取り、「この本、〇〇地方の美しい風景が載っているんです。表紙の写真も素敵でしょう?」と、その写真を見せながら穏やかに話しかけてみました。すると、女性の表情がほんの少し和らぎ、「ああ…昔、主人と行ったことがあるわ…」と、かすれた声で呟かれたのです。
短い言葉でしたが、その瞬間に、彼女の心の中に去来したであろう様々な思い――過去の楽しかった記憶、今の状況との対比、そして言葉にできない寂しさ――が、私にも伝わってくるように感じました。それは、論理的に理解するのではなく、感情や感覚として相手の状況に寄り添おうとする「共感」の始まりだったと思います。
私は、彼女の言葉を遮らず、ただ静かに耳を傾けました。そして、「素敵な思い出ですね。もしよかったら、少しだけこの本を置いていきましょうか。いつでも開いてみてください」と伝え、本を枕元に置かせていただきました。その時、彼女が私の手元に目をやり、小さく「ありがとう」と言われたのが、私にとっては何よりも大きな一言でした。
別のエピソードです。若い患者さんで、治療の副作用で手が少し震える方がいらっしゃいました。本を読みたいけれど、ページをめくるのが大変だとお聞きしました。私は、活字が大きめの本や、電子書籍(病院の許可があれば)を提案したり、短い章立ての本をお勧めしたりしました。また、もしご希望なら、少しの時間だけ読み聞かせをすることも提案しました。
その方は、最初は遠慮されていましたが、ある時一冊の本を選ばれ、ページをめくるのに苦労されているのを見かけました。私はそっと「お手伝いしましょうか?」とお声がけし、一緒にゆっくりとページをめくりました。その方の「すみません」という言葉に、「とんでもない、お互い様ですから」と返しました。
これらの経験を通じて、私は「利他性」とは、単に何かをしてあげることだけではないと感じるようになりました。それは、相手の困難や状況を理解しようと努め、その上で、自分にできる範囲で、相手が本当に必要としているであろう形で手を差し伸べること。そして、その行動そのものが、相手への深い「共感」から生まれるものである、ということです。彼らの立場に身を置き、その心に触れようとする意識こそが、利他心を育む土壌となるのだと学びました。
学びと内面の変化:本の力、そして心の繋がり
病院での図書ボランティアは、私自身の内面に大きな変化をもたらしました。以前は、ボランティアというと、何か特別なスキルや知識が必要だと感じていましたが、この活動を通じて、最も大切なのは「共感」しようとする心と、それに基づく「利他」の行動であると深く理解しました。
病室で接する方々は、それぞれが言葉にできないほどの不安や痛みを抱えています。そのような状況で、一冊の本を選ぶという行為や、数分間の短い会話が、彼らにとってどれほどの意味を持つのかを、私は肌で感じるようになりました。本という物理的な存在が、人と人との心の架け橋となり、共感を生み、小さな利他へと繋がる瞬間を幾度も目の当たりにしました。
それは、私が本を貸し出す側でありながら、実は多くのことを学ばせてもらっている時間でもありました。患者さんの言葉にならない表情や仕草から、その時の心の状態を察しようと努める中で、私の共感力は少しずつ磨かれていったように思います。そして、相手のために何ができるかを考え、行動するたびに、自身の内側にある利他心が温かく育まれていくのを感じました。
この活動は、私に「立ち止まり、耳を傾け、心を寄せる」ことの重要性を教えてくれました。急いで多くの人に本を届けようとするのではなく、一人ひとりの患者さんと向き合い、その日の体調や気分、そして心の声に寄り添うこと。それが、この活動の最も大切な部分であり、「活動から育む心」の本質であると感じています。
結論:静かな関わりが育む、確かな心の成長
病院の図書室ボランティアは、派手さはありません。ただ静かに本を運び、患者さんと短い言葉を交わすだけです。しかし、その一つ一つの関わりの中に、深い共感と利他性の実践があることを、私は自身の経験を通じて学びました。
本は、単なる時間潰しの道具ではありません。それは、希望であり、慰めであり、過去と現在を繋ぐ糸口となり、そして、人との繋がりを生み出す触媒となり得ます。その本の力を信じ、患者さんの心に寄り添おうと努める中で、私の内面には確かな変化が育まれました。相手を思いやる気持ち、困難な状況にある人々への深い共感、そして、自分にできる小さなことでも行動に移す利他心。これらは、活動を通じて得た、何物にも代えがたい財産です。
この学びは、病院での活動だけに留まるものではありません。日常生活の中で、他者の困難や痛みに気づき、共感し、小さな手助けをすること。それらを実践していくことこそが、「活動から育む心」が目指す、内面的な豊かさへの道なのだと確信しています。これからも、本の力と、そこで培われた共感、利他心を胸に、静かに、そして誠実に活動を続けていきたいと思っています。