見過ごせない現実のそばで:ホームレス支援が深めた共感と内面
ホームレス支援に踏み出したきっかけ
長年、様々な分野でボランティア活動に携わってきましたが、正直なところ、ホームレス状態にある方々への直接的な支援は、自分にとって少し遠い存在でした。ニュースや街中でその姿を見かけることはあっても、「何か特別な人が行う活動なのではないか」「自分には何ができるのか分からない」といった漠然とした思いがあったのです。
しかし、あるドキュメンタリー番組で、ホームレス状態にある方々の置かれている厳しい現実と、彼らが抱える孤独や苦悩について深く掘り下げて紹介されているのを目にしました。そこには、単に住む場所がないというだけでなく、様々な事情から社会的な繋がりを失い、尊厳が傷つけられている人々の姿がありました。そのとき、今までどこか他人事のように感じていた問題が、突然、自分自身の心に重くのしかかってきたのです。
「見過ごしてはいけない現実があるのではないか」。その強い思いに突き動かされ、私は地元のNPOが主催するホームレス支援のボランティア説明会に参加することを決めました。それが、私の内面に大きな変化をもたらす活動の始まりでした。
公園のベンチで交わした静かな対話
活動は、主に週末の夜間に公園や駅周辺を回り、おにぎりや温かい飲み物を配布しながら、声をおかけすることから始まりました。最初のうちは、どのように話しかければ良いのか分からず、緊張と戸惑いがありました。相手の方も、警戒心からか、あまり言葉を発してくれないことがほとんどでした。
ある寒い夜、公園のベンチで毛布にくるまっている年配の男性に声をかけました。少し離れた場所に立ち、「こんばんは。よかったら、おにぎりどうぞ」と静かに語りかけました。男性はゆっくりと顔を上げ、無言でおにぎりを受け取ってくださいました。その日はそれ以上の会話はありませんでした。
しかし、数週間後、同じ場所で再びその男性にお会いした時、少しだけ変化がありました。私が近づくと、以前より警戒心が薄れているように見えました。温かいお茶を渡しながら、私は静かに尋ねました。「今夜は冷えますね。大丈夫ですか?」
すると、男性はぽつりぽつりと話し始めました。かつては会社員として働いていたこと、病気で仕事を失い、家族とも疎遠になってしまったこと。住む場所を失ってからの苦労や、通り過ぎる人々の冷たい視線に心が痛むことなど、断片的ながらも、その方の人生の一端や、今感じているであろう孤独や絶望が垣間見えました。
私はただ、静かに耳を傾けました。特別なアドバイスも、安易な励ましもできませんでした。ただ、目の前にいる一人の人間として、その方の声を受け止めようと努めました。男性が話し終えた後、しばらく沈黙が流れました。その沈黙が、奇妙にも心地よく感じられたのを覚えています。
最後に男性は、「ありがとう。話を聞いてくれて」と小さな声で仰いました。その言葉を聞いたとき、私の心に温かいものが広がりました。それは、何か大きな支援ができた達成感ではなく、ただ「そこにいる」ことを受け止め、耳を傾けるという、ごくシンプルな行為が、目の前の人の心に少しでも寄り添えたのかもしれないという、静かな共感の感覚でした。
共感の先に感じた利他性と自身の変化
この経験を通じて、私は「共感」の本当の意味を深く考えるようになりました。それは、相手の立場や感情を完全に理解することの難しさとともに、たとえ完全に理解できなくても、その人の存在や苦悩を否定せず、真摯に向き合おうとする姿勢そのものが共感に繋がりうるということでした。そして、その共感の積み重ねが、「この人のために何かしたい」という利他性へと自然に繋がっていくことを実感しました。
しかし、活動は常に順風満帆ではありませんでした。支援を拒否されることも、心無い言葉を投げかけられることもありました。どうすればもっと良い支援ができるのだろうか、本当に相手のためになっているのだろうか、と自問自答する日々もありました。特に、問題の根深さや複雑さに直面するたび、自分の無力さを痛感し、挫折感を味わうことも少なくありませんでした。
それでも、活動を続ける中で、私の中に変化が生まれてきました。それは、表面的な状況や「ホームレス」というラベルだけでなく、その人の背景にあるストーリー、個性、尊厳といったものに目を向けようとする意識です。そして、支援は一方的に与えるものではなく、対等な人間関係の中で互いに心を通わせる営みであると捉えるようになりました。
かつて抱いていた漠然とした「特別な活動」というイメージは消え去り、目の前にいる「一人の人間」との出会いとして、活動を受け止められるようになったのです。この内面的な変化は、ボランティア活動の場だけでなく、日常生活における他者との関わり方、社会問題への向き合い方にも影響を与えています。見過ごしてしまいがちな日常の中にも、耳を澄ませば聞こえてくる声、目を凝らせば見えてくる現実があることに気づかされるようになりました。
活動が育む、見過ごさない心
ホームレス支援を通じて私が学んだのは、共感や利他性といった心は、座学や思考だけで深まるものではなく、具体的な活動の中で、他者との出会いや葛藤を通じてこそ、磨かれていくものだということです。公園のベンチでの静かな対話は、私にとって、見過ごせない現実の一端に触れ、共感の扉を開く重要な経験でした。
活動を通して育まれた「見過ごさない心」は、これからも私の人生を豊かにしてくれると信じています。それは、困っている人に手を差し伸べる勇気だけでなく、自分自身の中にある偏見や無関心に気づき、それを乗り越えようとする力でもあります。
この経験から得られた学びは、特別なことではなく、誰もが日々の生活の中で実践できることかもしれません。目の前にいる人の言葉に耳を傾けること、その人が抱える見えにくい苦悩に想像力を働かせること。そうした小さな積み重ねこそが、共感と利他性を育み、「活動から育む心」を豊かにしていくのだと感じています。