傷ついた動物に寄り添う日々:世話ボランティアが育んだ共感と利他心
動物保護施設での日々が教えてくれたこと
私が動物保護施設でボランティアを始めたのは、行き場を失った動物たちの存在を知り、何か自分にもできることがあるのではないかと感じたからです。そこでの主な活動は、清掃や餌やりといった日常的な世話ですが、それは単なる作業ではありませんでした。一頭一頭の動物と向き合い、その声にならない感情や過去に寄り添う時間でした。特に印象深いのは、ある一匹の老犬との出会いです。
心閉ざした老犬との静かな対話
その犬は、長年虐待を受けていたと聞きました。人に対して極度の警戒心を持ち、近寄ろうとすると唸り声を上げ、ケージの奥に縮こまってしまうのです。他のボランティアさんも手を焼いており、「触れるようになるのは難しいだろう」と囁かれていました。
私は無理に距離を縮めようとはせず、ただ彼のケージの前に静かに座り、話しかけたり、歌を歌ったりしました。もちろん、彼は反応を見せません。ですが、私は彼の目の中に映る恐怖や悲しみ、そしてかすかな諦めのようなものを感じ取ろうと努めました。これが、私にとっての「共感」の始まりだったのかもしれません。言葉を介さない、存在そのものへの共感です。
毎日同じように通い、掃除をし、餌や水を替える。その間も、彼に安心感を与えたい一心で、ゆっくりとした動きと優しい声色を心がけました。最初は遠巻きに私を見ていた彼が、少しずつですが、私がケージのそばにいても唸るのをやめ、やがて餌を食べる姿を見せてくれるようになりました。小さな一歩でしたが、私にとっては大きな喜びでした。
ある日、いつものように彼のケージの前で座っていると、彼は自ら近づいてきて、私の手の届かない距離で止まりました。そして、じっと私を見つめたのです。その目に、以前のような激しい恐怖はなく、静かな観察のようなものがありました。私は、彼が過去の傷からくる警戒心と、目の前の人間に対する好奇心や信頼の間で揺れ動いているのを感じ取りました。
その瞬間、私は彼のために何かをしたいという強い「利他性」を感じました。それは、単に世話をするという義務感ではなく、この傷ついた小さな命が、もう一度人間を信頼し、穏やかな時間を過ごせるように、何か貢献したいという内側からの願いでした。
諦めない心が育んだ内面の変化
彼の心が開くまでに、数ヶ月を要しました。初めて彼が私の手に鼻先を触れさせた時の感動は忘れられません。それは、言葉以上に雄弁に、彼の内面の変化を物語っていました。
この経験を通じて、私は「共感」の本当の深さを学びました。それは、相手の立場や状況を理解しようとすることだけでなく、その存在そのものに寄り添い、言葉にならない感情をも感じ取ろうとする努力なのだと。そして、「利他性」は、見返りを求めない無償の行為であると同時に、相手の小さな変化や成長を心から喜び、そこに自身の存在意義を見出すことでもあるのだと気づきました。
この老犬との関わりは、私のボランティア活動に対する姿勢だけでなく、人間関係においても大きな影響を与えました。他者の言葉の裏にある感情や、表現されない苦悩に気づく感性が磨かれたように感じます。急かすことなく、ただ寄り添い、相手のペースに合わせることの重要性を学びました。
活動がもたらした心の成長
動物保護施設での活動は、単に動物たちの命を救う手助けをするだけでなく、私自身の内面を豊かに育んでくれました。傷ついた命に寄り添う中で育まれた共感と利他心は、私の心をより深く、温かいものにしてくれたと感じています。「活動から育む心」という言葉は、私にとって、この場所での経験そのものを表しています。これからも、言葉を持たない小さな命たちとの関わりを通して、学び続け、成長していきたいと願っています。