ゴミ拾いから見えた繋がり:地域清掃で育まれた共感と自身の変化
はじめに:街角の変化と清掃ボランティア
私が地域清掃ボランティアに参加するようになったのは、数年前のことです。それまで、自分の住む街を「ただ通り過ぎる場所」として見ていた私は、ある日、普段通らない細い道に入り込んだ時、目に付くゴミの多さに軽い衝撃を受けました。空き缶、ペットボトル、タバコの吸い殻、プラスチック片…。それらは確かにそこに「ある」のですが、日々の忙しさの中で、私の意識にはほとんど上ってこなかったのです。
この光景がきっかけで、私は地元のボランティア団体が定期的に行っている地域清掃活動に参加することを決めました。何か大きな社会貢献を、というよりは、まずは自分の足元にある、この街の「汚れ」をどうにかしたいという、ごく個人的な衝動に近いものでした。しかし、この活動を通じて、私は単に街がきれいになる以上の、もっと深い気づきや内面的な変化を得ることになったのです。それは、まさに「活動から育む心」と呼べるものでした。
ゴミ拾いの中で見えてきたもの
活動は、毎回数人のメンバーと集合し、指定されたエリアを歩きながらゴミを拾うという単純なものです。初めのうちは、ひたすら目の前のゴミを拾うことに集中していました。しかし、回数を重ねるうちに、私は単なる「ゴミ」としてではなく、そこに捨てられた経緯や、それが街の景観や人々の暮らしにどう影響しているのかを考え始めるようになりました。
例えば、公園のベンチの周りに散乱したタバコの吸い殻を見るたび、「ここで休憩した誰かが、少しでも快適な時間を過ごしたかったのかもしれない。でも、その後のことを考えられなかったのだろうか」と考えたり、道路脇に放置されたままの空き缶を見て、「これも、誰かが喉の渇きを癒した後のものだ。ほんの一瞬の安らぎの痕跡が、そのまま街の負担になっているのだな」と感じたりしました。以前は「マナーが悪い」と一言で片付けていた行為も、そこに人間の様々な感情や状況が絡んでいるのかもしれない、と想像力が働くようになったのです。これは、一方的な非難から、他者の立場に立って物事を捉えようとする「共感」の芽生えだったのかもしれません。
ある時、古びたアパートの植え込みで、丁寧に植えられていたであろう花の苗が、ゴミに埋もれかかっているのを見つけました。その時、私の心に強い痛みが走りました。「この花を植えた人は、どんな気持ちで手入れしていたのだろう。この光景を見たら、どれほど悲しいだろうか」と。その瞬間に感じたのは、見ず知らずの誰かが大切にしていたものへの共感と、それを守りたい、元に戻したいという強い「利他心」でした。私は夢中で周りのゴミを取り除き、苗の周りをきれいにしました。それは、誰かに指示されたわけではなく、内側から自然と湧き上がった行動でした。
人々との繋がり、そして内面の変化
活動中、通りがかりの人から「ご苦労様です」「ありがとう」と声をかけられることもあります。中には、「いつもきれいにしてくれて助かります」と、感謝の言葉を添えてくれる方もいました。そうした言葉を聞くたびに、私は自分が街の一員として、ささやかながらも確かに貢献できていることを実感し、大きな喜びを感じました。それは、自分の行為が他者にとって価値あるものであると認められることの喜びであり、自身の利他心が具体的な形で他者に届いていることへの手応えでした。
また、一緒に活動する他のボランティアメンバーとの交流も、私に多くの気づきをもたらしました。それぞれの立場や年齢は違えど、「街をきれいにしたい」「誰かの役に立ちたい」という共通の思いで繋がっていること。黙々と作業をしながらも、時折交わされる言葉や、一緒に汗を流すという行為そのものに、連帯感と温かさを感じました。彼らが語る活動への思いや、普段の生活での小さな工夫なども、私の視野を広げてくれました。
地域清掃ボランティアは、派手な活動ではありません。しかし、一歩一歩、地面を見つめ、手でゴミを拾い上げるという行為を繰り返す中で、私の心には少しずつ変化が起こっていました。以前は見過ごしていた街の小さな変化に気づく敏感さ。そこに暮らす人々の営みや感情に思いを馳せる共感力。そして、自分自身の小さな行動が、他者や街全体に良い影響を与えうるという利他心。これらは、本を読んだり誰かの話を聞いたりするだけでは得られなかった、体と心を使った活動だからこそ育まれたものだと感じています。
街と共に、心も育む
地域清掃は、終わりがない活動です。どんなにきれいにしても、またすぐにゴミは現れます。しかし、その「終わりがない」ことこそが、継続的な学びと成長の機会を与えてくれているのだと思っています。ゴミと向き合うことは、人間社会の影の部分と向き合うことでもあります。そこから目を背けず、それでも自分にできることをしようとする意志。その意志が、私の共感力や利他心を育み、結果として自分自身の心を豊かにしてくれているのだと感じています。
活動を始めた頃に感じていた「なぜこんなものがここに?」という疑問は、今では「ここに何があるべきか?そして、そのために私には何ができるか?」という問いへと変化しました。街をきれいにすることは、ただの物理的な行為ではなく、そこに暮らす人々への敬意であり、未来への投資である。そう気づかせてくれたのは、地域清掃という活動そのもの、そしてそこで出会った人々でした。
「活動から育む心」というサイト名に込められた意味を、私はこの地域清掃ボランティアを通じて、少しずつ実感しています。これからも、街と共に、自分自身の心も育んでいきたいと考えています。